考えすぎて仕事が手につかない日があります。
やる気がないわけではありません。それでも、なぜか動けない。
少し前、まさにそんな日がありました。
考えすぎて仕事が手につかない日があった
その日は、仕事をしたいという気持ちははっきりありました。
ただ、作業に入ろうとすると手が止まり、
- そもそも意味があるのか
- やったところでプラスになるのか
そんなことを考えていました。
後から振り返ると、その時は寝不足で、アトピーの症状も悪化していました。
身体的にも精神的にも、明らかにコンディションは良くなかったと思います。
考えすぎて動けない原因は、怠けではなかった
考えていた内容は、決して感情的なものではありませんでした。
- 短期的に金銭につながるか
- 習慣としてプラスの効果があるか
- 長期的に見て意味のある行動か
自己効力感が上がるかどうかや、気分が良くなるか、他人からどう評価されるかといったことは、ほとんど考えていませんでした。
今振り返ると、その思考は「前に進むため」ではなく、
止まるための思考だったように思います。
考えている間は、判断を引き受けなくて済みます。
失敗の責任や選択の重さを、いったん先送りできるからです。
ブレーキがかかりすぎていると気づいた理由
その日は、普段なら「とりあえずやってみよう」と判断する場面でも、なぜかGOが出ませんでした。
自分の中で、
「今日はブレーキがかかりすぎているな」
という感覚がありました。
この違和感があったからこそ、
「意志や根性の問題ではなく、コンディションの問題だな」
と気づくことができました。
結果的に、この思考は行動を止めましたが、同時に
自分の不調を知らせるサインとしても機能していたと思います。
意味がない行動がつらい人の思考特性
よく「意味がなくてもとりあえずやればいい」と言われます。
ただ、個人的にはこの考え方にはあまりしっくりきません。
例えば、40歳から将棋のプロ棋士を目指す、といった行動は、
意味や構造が成立していない以上、そもそも火がつきません。
私は、
意味が行動と接続されていないと動けないタイプ
なのだと思います。
一方で、
- 何もできなくてもパソコンを開くだけで習慣に寄与する
- 直接の成果はなくても、後につながる
こうした「構造としてのプラス」が見えると、行動しやすくなります。
意味を手放さずに、意味のレベルを下げる
今回あらためて整理してみて、大事だと思ったことがあります。
それは、
意味を手放す必要はないが、意味のレベルは下げられる
ということです。
成果には、短期的なものもあります。
ただ、安定して続けるために本当に必要なのは、
長期的かつ継続的にリターンされる構造だと思っています。
だから、体調が悪い日は、
- 無理に成果を狙わない
- なるべく早く損切りする
- 週単位、月単位での立て直しを優先する
そう割り切った方が、結果的には最適です。
その日は「成果を出す日」ではなく、
接続を切らない日にする。
それだけでも、行動には意味が残ります。
考えすぎて動けない自分の扱い方
考えすぎて動けなかった日は、失敗ではありません。
判断基準が、その日の自分には重すぎただけです。
大切なのは、自分を責めることではなく、
「今日は意味を軽く定義し直す日だった」と整理することだと思います。
思考は、本来、行動の補助です。
ただし、重すぎる意味は、行動を止めてしまいます。
成果よりも、
つながりを切らない構造を優先する。
今は、そう考えています。
